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大学卒業と中退と除籍の違い問題


栗野的視点(No.865)                  2025年7月19日
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大学卒業と中退と除籍の違い問題
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 この頃、政治家がおかしい、と感じるのは私だけだろうか。
事実と違うファクト情報をガンガン流したり、自身は当選するつもりはないと言って立候補して他候補を応援する「2馬力選挙」をしたり、選挙ポスターに立候補者の顔写真等はなく申し訳程度に氏名のみ載せ、代わりに党首の顔写真を載せているなど、ちょっと前までは考えられないことが選挙という名の下に行われているのは早い話、国民がバカにされているのだろう。

 ところで最近、大学を出たとか出ていないとかが問題にされ、当選したばかりの市長が辞職した。
 この問題で即、頭を過ったのは小池東京都知事。エジプトの大学を卒業したとか卒業していないとか問題にされたが、あれって卒業証書を提示したのだったか。
 卒業証書は見せずに、大学側の「卒業した」という発表があり、なんとなくウヤムヤの内に萎んでしまったような気がしたが。

 まあ、卒業していないのに卒業したというのは問題だと思うが、大学卒業にそれ程ブランド価値があるのだろうか。
 田中角栄は高等小学校卒と堂々と言っていたぐらいで、学歴と政治家としての力量は別問題だと思うし、有権者もそんなことで投票先を変えるとも思えないが。それより虚偽の経歴を公表する方がよっぽど問題ではないか。

 今回の「卒業問題」で「中退」と「除籍」の違いを初めて知った。
大学を卒業せずに途中で辞めたのは皆「中退」だと思っていたが、主体的かどうかで両者は分かれるらしい。
 「大学を辞めます」と大学に届けを出せば「中退」だが、授業料を払えず、あるいは大学を8年以内で卒業できないと「除籍」になり、両者は区別されることを今の今まで知らなかった。

 作家を含め大学中退という人はそこそこいるが、彼らが皆、大学に中退届を提出していたのだろうか。そうとも思えないが。
 60年代後半から70年代には卒業証書を貰わなかった学生は少なくない。実際、私の友人達にも何人かいるし、皆「中退だ」と言っていた。

 彼らが卒業しなかったのを知ったのは同窓会名簿に載っていなかったからだが、同窓として数年かそれ以上共に過ごした学友を「同窓会名簿に載せないのはおかしい」と後に抗議の手紙を同窓会事務局に書いたこともある。「卒業名簿」なら分からないわけではないが「同窓会名簿」なのだから。
 もしかすると「同窓会名簿」に記載するのは「卒業者に限る」という規定があるのかも分からないが、そもそも同窓会名簿は友人、知人達の消息を知る手立てであり、それ以外に利用方法、利用価値があるとも思えない。

 個人的なことを言えば私は高校も大学も卒業式に出たことがない。
出席することに積極的な意味を見出せなかったからバカらしくて出席しなかったというだけだが。
 もちろん学校側からも参加を強く求めるような通知などは一切なかったように記憶している
 卒業証書もどうでもよかったが、一応、数日後事務局に出向き証書だけ貰った。
 母親は高校の卒業式には出たかったようなことを言っていたが、親父は別に何も言わなかった。だから高校の卒業証書も後日一人で貰いに行ったが、まるで校内の売店でノートを買うような簡単さだった。

 卒業か中退かが政治家にとってそれほど重要なこととも思えないが、それを政争にしたい人達もいるってことだろうね。


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