栗野的視点(No.867) 2025年8月4日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
トップが責任を取らない組織はおかしい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ この頃おかしな論調が飛び交っている。
「石破辞めるな」という論調があるかと思えば、石破支持のデモまで行われている。
常に反対意見があるのは分かるが、この頃こうした反対運動をよく見かけるようになり、なんとなく違和感、奇妙を通り越し、気味悪さを覚える。
論理的な思考より感情的な思考
先鞭を付けたのはトランプ米大統領によるトランプ支持者への議会議事堂に向けたデモ行進「煽動」で、それに倣ったのが尹錫悦(ユン・ソクヨル)韓国大統領の非常戒厳発令だ。
この2者に共通しているのは政敵への強権的な攻撃で、後世の歴史家は民主義政治の崩壊はこれを境に起きたと記すだろう。
日本でも斎藤兵庫県知事擁護のSNSや「2馬力選挙」による選挙活動、そして少し様相は異なるが石丸旋風もあった。
米韓と違うのは日本では政敵に対する強権的な攻撃ではなく、判官びいき的な感情論から来る応援と、それに続く「お祭り騒ぎ」への便乗だろう。
運動(ムーブメント)が起これば途中からそこに加わり、盛り上げる動きは昔から変わらず存在した。かつてはそれらを野次馬とか付和雷同と称したが、参加を呼びかける手段や呼び方は変わっても、「お祭り」に参加したい連中は常に一定数いた。
ただ、時代とともに少し変化したのは判官びいき的な応援が増えてきたことだ。「マスコミにいじめられている」「彼は本当に悪いのか」「かわいそう」「辞めなくていい」「辞めるな」という風に集団の思考がどんどん変わって行く。
そこに存在するのは論理的な思考ではなく、感情的思考である。
寄ってたかって叩くマスコミは強者であり、強者による弱者いじめと見る感情思考が働く。
そこに近年SNSで飛び交う「マスゴミ」という言葉が重なる。
マスコミは真実を伝えていないという感情(論理ではない)である。
この「思考」に輪をかけたのがCOVID-18パンデミック時のワクチン疑惑だ。
人は未経験の新しいものには懐疑的になる。
それは仕方がない。
過去にないもの(方法)だから経験に照らして考えることができない。
だから懐疑的になるし、エビデンスを求めたり、論理的な思考より、感情的な思考が強くなる。
このワクチン接種には何か裏があるに違いない、と考える。
そこに副反応で苦しんだ例など出れば、やっぱり、となる。
その段階ではパンデミック初期に感染して亡くなった人のことなどは頭からすっぽりと抜け落ちている。
過去の経験から判断できないものに何か別の判断方法を考えたがるのは仕方ない。キリスト宇宙人説などはその最たるものだろう。
ピラミッド建設など宇宙人が行ったとすればいとも簡単に「説明が付く」ではないか。
そこに論理の飛躍があろうと、人は簡潔な説明を求めたがり、それを信じたがる。
この傾向は高学歴の有無に関係ない。
(2)に続く

|