N の 憂 鬱-28
〜麻田と「ブルーライト ヨコハマ」(1)


Kurino's Novel-28                    2025年4月17日
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Nの憂鬱〜麻田と「ブルーライト ヨコハマ」
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  ▽麻田と「ブルーライト ヨコハマ」

 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ
 ブルーライト ヨコハマ
 あなたと二人 幸せよ

 いつものように 愛の言葉を ヨコハマ
 ブルーライト ヨコハマ
 私にください あなたから

 歩いても 歩いても
 小舟のように わたしは揺れて
 揺れて あなたの腕の中


 正月3日、夕食が済むと他にすることもなく、寒さを凌ぐには布団に潜り込むのが一番とばかりに早々と布団を敷き、掛布団を顔まで引き上げ、亀のように目から上だけを出し横になって縮こまっていた。
 分厚い掛け布団は見た目とは裏腹にまるで煎餅布団を掛けているように寒く、中に入っているのは綿ではないのでないかと思う程身体は温まらず、縮めた脚を互いに擦り合わせ、両の腕を胸の前で組み布団の中で縮こまりながら震えていた。
 眠れば寒さを忘れられると思ったが、あまりの寒さに寝付くこともできず、隙間から吹き込む風にただただ耐えじっと縮こまるしかなかった。

 そんな時、房のスピーカーから聞えてきたのが少し甘ったるい声で「街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ」と歌ういしだあゆみの歌だった。
 TVの歌番組など見たこともないから、いしだあゆみの顔もよく知らないが、歌だけは耳にしていた。
 「ヨコハマ ブルーライト ヨコハマ」
 と繰り返されるフレーズと
 「歩いても 歩いても」
 というフレーズが耳に強く残り、頭の中で何度も繰り返される。

 卒業する工学部の先輩がくれたステレオは部屋にあったが、レコードを買い求め音楽を聴くという趣味とカネを持ち合わせてなく、そのステレオから流れてくるのはほとんどがラジオのFM放送だった。

 その頃流行っていたのはフォークソングかビートルズだったが、ビートルズのサウンドはうるさいぐらいにしか思えず、当時好きになることも、彼らに熱狂することもなかった。
 ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリー(PPM)のフォークソングはよく口ずさんだが、ボブ・ディラン自身が歌ったのは聴いたことがない。
 もともと音楽に興味はほとんどなく、当時流行った反戦フォークでさえ街頭で一緒になって歌ったことはなかったし、駅前や繁華街で歌っているグループはいたのかもしれないが接点もなく、四国の地で彼らが活動しているのかどうかも知らなかった。

 「フォークゲリラ」という言葉がメディア等で語られた。新宿西口広場は彼らに占拠されたと報じられ、多くの若者が集まり反戦フォークを歌っていたらしい。
 歌を歌って社会変革ができるのか。それは日本共産党(日共)の「うたごえ運動」と同じではないのか、どこが違うのだ。
 デモにも参加せず逮捕される危険性がない所に身を置いて歌を歌う者達に共感することはなかった。
 まだ「ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)」の活動の方がよほどマシだ、という意識がNにはあったから「フォークゲリラ」を自称している連中は好きになれなかった。

 いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」はパチンコ屋で繰り返し流れるから耳に入り、なんとなく覚えていたぐらいだが、その内パチンコに行く時間もなくなり耳にすることはほとんどなくなったが、「ブルーライトヨコハマ」はある男の記憶と濃厚に結び付いていたから布団の中でつい聞き入った。

 麻田さんは、どうしているのだろうか。
 麻田の記憶が「ブルーライトヨコハマ」とともに蘇った。
                                  (2)に続く
 


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