栗野的視点(No.864) 2024年7月17日
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さがしても何もないと言われる佐賀が面白い。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「探し(佐賀市)てもな〜んもなか」と県民が自虐的に言う佐賀に行ってきた。
そして佐賀城内だけで丸1日過ごし、もう一度来たいとまで思った。
ぺんぺん草も生えないとは失礼
そう思わせたものはなにかについては後述するとして、佐賀は幕末に活躍した藩であり、西洋の科学技術をいち早く取り入れるなど進取の精神に富んだ藩であり、幕末から明治にかけて活躍した偉人を輩出した県でもある。
それなのに、佐賀県人は「な〜んもなか」と言い、若者は出身地が佐賀だと言いたがらない。少なくとも30、40年前ぐらいは。
なぜなのか。昭和の高度経済成長期に乗り遅れたのが1つ。もう1つは「佐賀県人が通った後はぺんぺん草も生えない」という言葉が口の端にのぼっていたこともあるだろう。
私がこの言葉を初めて聞いたのは博多に来た20代の頃で、当時、使われている意味はよく分らなかったが、言葉のニュアンスから福岡の人間が佐賀県人を見下した言い方だとは感じられた。
ぺんぺん草はどんな荒地にも生える。それさえも生えないとはどういうことか。どうやら佐賀県人は貧乏だから彼らが通った後はぺんぺん草まで抜き取っていくと見下し、使っている方は正確な意味を理解して使っていたのではないかもしれないが、佐賀県人を見下していたのは間違いない。
そういうことを敏感に感じ取るから若者、特に若い女性は佐賀出身と言いたくなかったのだろう。
しかし、逆の見方をすれば佐賀商人は商売が上手ということだ。
実際、博多で成功している人は佐賀県や長崎県人が多い。
これは他県でも同じようなことが言え、大分で成功している人は四国出身者が多いし、高松では和歌山出身の成功者が多い。
要は故郷を捨てて来た人は背水の陣で働くから成功する確率が高いということだ。
私が30歳になるかならない頃、大阪出身の経営者から「九州男児と言われるが、あれは虚像だ。実際の九州男児は女々しい。関西人の方がよほど男らしい」と聞かされたことがあった。
当時そう聞かされて妙に納得した記憶がある。
「博多商人」という言葉があるが、博多の男衆は1年の半分しか仕事をしていなかった。
まあ、それで生活できていた、いい時代でもあったのだが、半年間は何をしていたのかと言えば博多祇園山笠にかまけていたのだ。これを「ヤマのぼせ」と言う。
その間、商売はどうしていたのかと言えば「ごりょんさん」が店を切り盛りしていたわけで、これでは博多の男衆は奥さんに頭が上がるはずがない。
まあ、それはさておき、ぺんぺん草は春の七草の1つ「ナズナ」のことだから、ナズナにしてみれば「ぺんぺん草も生えない」みたいな言い方をされるのは不本意だろう。
同じことならどんなやせ地にも生えて、白いきれいな花を咲かせる頑張り屋の例えで使って欲しいと思っているに違いない。
(2)に続く
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